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如意寺 (神戸市) : ミニ英和和英辞書
如意寺 (神戸市)[にょいじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

如意 : [にょい]
 【名詞】 1. as one wishes 2. a priest's staff
: [てら]
 【名詞】 1. temple 
: [かみ]
 【名詞】 1. god 
: [と]
 【名詞】 1. door (Japanese-style) 
: [し]
  1. (n-suf) city 

如意寺 (神戸市) : ウィキペディア日本語版
如意寺 (神戸市)[にょいじ]

如意寺(にょいじ)は兵庫県神戸市西区にある天台宗仏教寺院。山号は比金山(ひきんさん)。本尊は地蔵菩薩
== 沿革 ==
『如意寺旧記』によれば、大化元年(645年)法道仙人多聞天の教化により当山に櫨(はぜ)の木に刻んだ地蔵菩薩毘沙門天〔別伝では、地蔵菩薩と多聞天とする。「播州明石郡比金山如意寺縁起」(『神戸市文献史料 第2巻』神戸市教育委員会、1789年)による。〕を祀ったのが起源とされる。同5年(649年)に孝徳天皇勅願寺と定められて「三級塔一宇鐘楼堂二階楼門二箇鎮守其外僧院廿四坊」という大規模な堂塔伽藍が建立され、仁寿元年(851年)には円仁が文殊堂を建立した。のちに荒廃し諸堂は傾き雨露に曝される有様であったが、正暦年間(990-995年)願西尼安養尼)により中興されたという。〔「播陽明石之保比金山如意寺旧記」(『神戸市文献史料 第2巻』)〕
法道は天竺(インド)から飛来したとされる伝説的な仙人で〔「元亨釈書」(『大日本佛教全書 第62巻』)〕、兵庫県南部一帯には法道開基を伝える寺院が点在している。ただし、当寺を法道の草創とするのは伝承の域を出ない。貞応三年(1224年)の「延暦寺政所下文案」では願西聖人の建立とし、寺域は東西16町南北12町に及んだという〔「如意寺文書」貞応三年正月廿二日付「延暦寺政所下文案」(『兵庫県史』史料編中世2)〕。いっぽう如意寺にかかわる最も古い文書は仁平2年(1152年)のものであり〔「如意寺文書」仁平二年三月六日付「僧某山野材木施入状写」(『兵庫県史』史料編中世2)〕、発掘調査の所見と併せ〔『平成6年度神戸市埋蔵文化財年報』(1997年)〕、実際の創建は12世紀中葉をさかのぼるものはでないと考えられている。
貞応2年(1223年)には国役を免除され〔「如意寺文書」貞応二年十二月付「播磨国司庁宣」(『兵庫県史』史料編中世2)〕、南北朝時代に三重塔、室町後期には文殊堂の建立がなった。天文8年(1539年)、火災により本堂・諸楼・法器を焼失した。このときの院主一条院泉範は本堂修営の大願を立てて広く浄財を募り、「道俗男女八萬四千人五ヶ年ヲ経テ大願成就」したという〔。寛文7年(1667年)東叡山寛永寺末寺となり、江戸時代においてもなお12坊院と朱印地43石余、年貢地80石余、境内として山林東西16町南北12町を認められていた〔「如意寺寺社改」(『神戸市文献史料 第2巻』)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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